”地図や地形図は正直だ”ということを今度は西武鉄道から見てみる

5月の某日
私用で埼玉県の所沢市から入間市・狭山市方面に車を走らせていると妙な感覚を感じたことだった。
その感覚とは県道50号所沢狭山線を狭山市方面に走り、県道8号川越入間線・南入曽交差点を左折するとすぐ踏切があり駅がある。その踏切を渡り1.5km走るとまたそこに踏切があった。よそ者の私からみたら「違う鉄道」のように感じたが、どうやら同じ西武鉄道らしい。それも前者が西武新宿線で後者が西武池袋線とのこと。
地元民からしたらなんてことない風景だと思うが、よそ者の私からしたら「あれれ?」という錯覚を感じたので、今回はそのことについて取り上げる。
地元民じゃないと陥る錯覚
その付近の実際の地図はこちらである。

が、どうして私は「あれれ?」と思ったか。それは西武鉄道が表示している路線図にあった。

これを見ると新宿線入曽駅と池袋線武蔵藤沢駅が結構と離れていて遠いところにあるお互いの駅・・・的な表示となっているが、実際は地図の通りほぼ隣接している地域の駅位置関係である。
しかし地元民ではない私見解として西武鉄道の路線イメージは西武鉄道が発表しているこの路線図の形である。そこから地元民との位置感覚のズレが生じてくる。
ではこの認識ギャップはどこから出てくるのか。
「それは埼玉県の自治体の位置を把握しなさい」と言われれば身もふたもないのだが、そこは私が生活していない地域で把握が難しいのでご勘弁願いたい。そこで今回は鉄道を見る目線から西武鉄道を地図で追っかけてみた。そしたらある駅の存在がキーワードだったことがわかった。
所沢駅を地図で見てみると
それは所沢駅の存在である。所沢駅は西武池袋線と西武新宿線が交差する3面5線の路線構内を持った西武鉄道の主要駅のひとつ。
そんな所沢駅を再び西武鉄道の路線図で見てみると・・・

と十字形の駅で表示されている。こういう十字形をみるとJR秋葉原駅やJR西船橋駅、はたまた近鉄大和八木駅のように上下で各路線の乗り換えをするイメージを持たれるかと思う。がしかし前述した通り所沢駅は平面交差の3面5線。これはどこか何かに理由があるはずだ・・・ということで所沢駅周辺の地図を見てみると・・・

なるほどである。
地図を見ると初めて分かるのだが、西武新宿線上に池袋線が乗り入れているようかの如く、西武池袋線は所沢駅手前で大きくカーブして駅に入線する。ちなみにこれは上下線共である。
地図は歴史も写している
なぜこのようになったか・・・詳しくは西武鉄道の公式ホームページによる歴史紹介や各種検索などで調べて欲しいのだが、それらを引用によるとこのような沿革があった。
現在の西武鉄道の経営主体の前身が武蔵野鉄道という鉄道会社で、大正4年に池袋〜飯能を開通させたのが現在の西武池袋線の前身。その後セメントなどの貨物や多摩湖・狭山湖観光に着手した経営上重要な路線だった。
しかし当時の所沢駅にはすでに鉄道が存在していた。明治25年に国分寺〜旧久米川(現在の東村山駅)を開通させた川越鉄道が、明治28年に旧久米川〜川越(いまの本川越駅)を開通させ国分寺〜川越で営業していたのである。
つまり武蔵野鉄道開業時には既に川越鉄道に乗り入れる形で所沢駅を設置したのである。国土地理院地図を確認すると大正10年の2万五千分の1「所沢」の地形図によると現在と同じ路線が敷かれていた。
ちなみにこの川越鉄道は買収や改名などの紆余曲折があって後にに西武新宿線となる。
情報は複数の見方から取り入れた方が良い

所沢を出発した池袋線や新宿線がその後どこを走っていくのかを縮尺を大きくしてみた。それぞれ入間市や狭山市に向かって伸びておりほぼ並走していることがわかる。
鉄道会社の路線図はあくまで路線主体で利用者お客様に対して見やすさを写しているもの。街の位置関係はやはり地図でないとわからない。片方の情報のみだと偏った認識になりがちなので、やはり複数の情報を見たほうがいいということを地図は教えてくれている。新津駅の時と同様であった。