地図を回転すると見えないものが見えてくる:”山貴、”的日本海国土軸のススメ(2)


これは言うまでもなく日本地図である。どこの教科書でもどこのメディアでも日本地図はこの形をしている。ただいろんな地図を見ていると疑問がひとつ頭に浮かび上がってくる。
「いつの時代から日本国民は日本地図はこのような形と意識的に植えつけられるようになったのか?」
国土軸について
前回のエントリーで”今こそ日本海国土軸の構築をすることこそ日本の再構築であり今が再構築のチャンスなのである。”と記した。
そこで冒頭の地図の話の前に国土軸という言葉について軽く触れておきたい。まずこれまでの日本における国土計画はこのように進められてきた。
- 全国総合開発計画(一全総)S37(AD1962).10.5閣議決定
- 新全国総合開発計画(二全総)S44(AD1969).5.30閣議決定
- 第三次全国総合開発計画(三全総)S52(AD1977).11.4閣議決定
- 第四次全国総合開発計画(四全総)S62(AD1987).6.30閣議決定
- 21世紀の国土のグランドデザイン H10(AD1998).3.31閣議決定
最後の「21世紀の国土のグランドデザイン」にて、旧来の全総に上がっていた太平洋ベルト地帯という考えより改めて4つの国土軸構想が出されたのである。
- 西日本国土軸(今までの太平洋ベルト、東京から北九州・福岡までの軸)
- 北東国土軸(中央高地から関東北部を通り、東北の太平洋側を経由して北海道までの軸)
- 太平洋新国土軸(沖縄から九州中南部・四国を通り紀伊半島・伊勢湾岸までの軸)
- 日本海国土軸(九州北部から山陰・北陸・羽越を通り北海道へ通じる日本海沿岸地域の軸)
図にするとこうである。
(なおこの図は三重県のホームページより引用したことをあやかじめ断っておきます)
「日本海国土軸のススメ」という題の日本海国土軸はここから引用した考えである。
話は冒頭に戻り日本地図

「いつの時代から日本国民は日本地図はこのような形と意識的に植えつけられるようになったのか?」
冒頭でこのような疑問を投げかけた。答えはおそらく北極が北にあり上をきたと指定したあたりだろう。ただ物を考えるときに南が上の地図だってあったっていいと思う。現にオーストラリアの地図は南北が逆で南極が上になる。
そういや中国はなぜ台湾や沖縄に進出(と言う言い方もおかしいがそこはご了承願いたい)してくるのかと言うことに対して、太平洋側を上にした地図を出していて太平洋の海洋進出をしたい中国の目論見がある・・・と言うのをテレビで見かけたことがある。
オーストラリアの地図や中国の地図についてはここでは引用しないので各自でそれぞれ検索してほしい。
では日本でもやってみようと言うことで・・・やってみた。

角度によって微妙にニュアンスが違ってくるが、能登や山陰・出雲が海洋上における日本海側の最前線であることがわかる。また能登と佐渡が同レベルの最前線であること。能登半島の先端が越中と越後とではそんなに変わらないこと。よって越後と能登は思ったよりも近いこと。
(ちなみにこの見え方はあくまで目の錯覚を使ったものである。従来の地図とあくまで同じ距離である事は変わらない。しかし見える角度で近いと言う意識づけはできると思う。)
だから浄土真宗が越後へ伝播するときに能登を中継したり、曹洞宗の大本山である総持寺が能登にあったりしたのかな・・・と思うわけで。そのようなことから江戸・明治期における北前船文化が生まれ日本海がメインストリームだったこと・・・は以前記したように歴史が既に証明している。
神話である伊夜日子さまの上陸のひとつの説である米水浦(よねみがうら)も今の長岡市野積付近で、造船や製塩などの技術も越中能登から伝えられたとか。
その意識を持って改めて地図に落とし込んで見るとなぜ海洋・海上交通から文化が広まっていったのかがよくわかっていただけるかと思う。
このようにして見ると日本海を裏日本って呼べないですよね。だって北前船文化の時代は表日本だったのですから。
ほんと「地図は嘘つかない」です。
逆さ地図
ちなみにこの地図の見方のことを「逆さ地図」と呼ばれていて、実際に売っている逆さ地図もあるという。
その販売しているページのリンクを貼っておく。興味がある方は一読されたし!(転載が難しい・手間がかかるのでこの場では紹介文のみとしておく)
環日本海・東アジア諸国図(通称:逆さ地図)の掲載許可、販売について:富山県
(続く)