私が諸活動に取り組むきっかけとなった3つのキーワード(2.アルビレックス新潟編)
- 2019/5/4
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私が諸活動に取り組むきっかけとなった3つのキーワード
- 高校の時に本屋で出会った「東京に負けてなるものか」という本の存在
- サッカーチーム「アルビレックス新潟」の存在
- 地方アイドルのパイオニア「Negicco」の存在
今回は第2弾としてサッカーチーム「アルビレックス新潟」について記したいと思う。
アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、Albirex Niigata)
日本の新潟県新潟市および北蒲原郡聖籠町をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
アルビレックス新潟:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
山貴、はどっちらかというと運動音痴寄り
(見出しにも書いたけど)山貴自身運動が苦手な部類である。小学校高学年に頃になると「逃げ足」が早かったせいか、はたまた母が脚力が良かった血を受け継いだかどうかはよくわからないが、短い距離を走るのは苦にならなくなった。しかしながら未だに球技がダメダメである。苦手意識が強い。
そんな運動能力であるが見る楽しさはわかっていて様々なスポーツ観戦が好きだった。特にゴルフ・テニスなどに注目していた。ステファンエドバーグとボリス・ベッカーが対決したウインブルドン決勝や全米オープンゴルフを録画して見て興奮をしていた。中嶋常幸の全英オープンや伊沢利光のマスターズなど、日本人が上位にいた大会などはメジャー制覇か?と思わせるほどのワクワク感もあった。
野球やラグビーやアメリカンフットボールやバスケットボールも好きだった。好きだった・・・ことは間違いないのだが、どうしても好きなチームというものが持てなかった。テニスやゴルフなど個人競技は選手がヒーローやヒロインになれて先入観を入れやすかったが、チームスポーツとなると誰それの選手は好きでもチームに思い入れられることが出来なかった。
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野球なんて所詮他人事
ではなぜチームスポーツは他人事なのか?と問われればこう返すしかないと思っている。
「自分事じゃないから」
例えば野球。テレビでは、特に地方では読売戦がよく放映されている。最近では有料のチャンネルなどで全チーム放映というのをしてはいるが、数年前まではそれがまだ無い時代。読売というチームをテレビで放映されているから身近な問題として捉える・・・かと思いきや私は読売ファンとはならなかった。残り11球団を見たかったからだ。
そういう頭が働いたので冷静に物が見られて「自分事」として捉えられなかったのだ。
しかしそれを覆したチームが生まれた。それが「アルビレックス新潟」である。
おらがチームのあることに喜び
新潟はもともとスポーツが育たない土地柄だった。高校野球は1回線敗退で日本文理高校が夏の甲子園決勝に上がるなんて想像もつかなかった。なので新潟南高校がベスト8に進出した時は県民が狂喜乱舞するほど。バスケットがインターハイベスト4進出があったがマスコミはあまり注目せず。そのような中で人口のキャパシティ含めてプロスポーツが新潟に来るなんて考えられなかった。
しかしサッカー2002年日韓W杯の数試合が新潟で開催された。そのフィーバーの波を契機にアルビレックス新潟が設立され地元におらがチームが誕生した。愛郷心と望郷の念が私の中で火がついたのである。
おらがチームの魔力は強いもので、今まで冷静に見えたチームスポーツを「自分事」として捉えられるようになったのだ。自分事というものは時にロジックが無くてもパッションで動いてしまうもの。思いや気持ちで働くものなのだと実感した。そしてその思いはきっと新潟のサポーターに繋がったのだろう。県民やサポーターも一緒の気分になりそれが熱気としてビッグスワンを4万人で埋め尽くされる勢いにまで成長できたのだ。誇れるおらがチームが地元にできたのだ。
残念ながら諸事情で私がスタジアムに足を運んだのは延べ2年間でしかなかった。結果的に現在はアルビレックス新潟をサポートできていない。出来ることならばすっとスタジアムに足を運ぶべきものと思うと申し訳ない気持ちにもなる。
それでもアルビレックス新潟というチームが今の私の立ち位置にした要因であることは間違いないことは言える。このおらがチームによって私の中に愛郷心というものが芽生え醸成された。この愛郷心こそが諸活動に取り組むきっかけとなったキーワードのひとつなのである。