
(注)
ここから先の記事(の一部)はこのブログ内の右記のエントリーにて一度掲載済みですが、再度このエントリーでも掲載することします。
ご了解くださいますようお願いします。
自殺願望の経緯とそのときの頭と体の中身
山貴、が二十代中盤の時の話です。
ともかく「仕事できない人間」で「会社にとって厄介」な人間。素直じゃないし平気で嘘をつく(本人はついたつもりはないが結果ついたことになることも含め)し、下請けに振り回され元請けから突き上げられ会社からは叱責を受けるそんな日常が背景。
そんな中いつものごとく仕事上のミスをした。普通であれば豆腐メンタルを鉄で包まれて保管しているので追い込まれることはないのだが、この時は複数の仕事を掛け持ちしていたのでその中で事件(?)が起きた。・・・ってことで会社の人と電話していた際に起きた会話より、、、
「あれどうなった?」
「まだ出来ていないです」
「ったく、使えねーな!」
その言葉を聞いた瞬間、私の何か維持していたものが一瞬のうちに外された・・・ことが感じ取れたのだ。
『あ!俺って使えねーんだ。なら居なくなればいいのか』
と思考が一気に変わってしまった。そして次に発した言葉が
「・・・死ぬか。」
である。
(注)『・・・死のうか。』ではない。『・・・死ぬか。』である。
今思えば世の中を知らなくて、かつ発達凸凹で回避性人格障害の気があったと片づけられるけれど・・・当時はそんなこと知る由もない山貴、さん。
またこのケースに限って言えばマルチタスクができない残念な特性の持ち主なのに、下請けが可愛がると言う口実でいいようにあしらわれてそのツケを会社から刺されると言う怒りさえこみ上げてくる背景だったが、気の弱い俺は何も出来ない。
ちなみにこの時に人と会う約束をしていたのでとりあえず現場に向かった。いきなり死に向かうのは面白くない。打ち合わせした後で海に向かえば良いと思った。まぁ文字にすると「なんだ余裕あるじゃん!」と思われるだろうし俺も笑けてくるが、今思い出すとどこか最後の最後まで死ぬこと以外に迷惑をかけたくなかった。また・・・
「え?あいつ死んだの??」
とインパクトを与えたかったのだろうと思う。
「だってあの時間まで俺と打ち合わせしてたし!」
それを言わせることが最後の悪あがきになると思っていたのだ。会社に迷惑をかけることも最後の悪あがき。そうして俺が死んでゆくんだ、痛快じゃないか・・・と心と頭のどこか片隅で笑っていたのかもしれない・・・と今になってみれば回顧できる。
ただ今思えばそれが結果的に助かった一瞬の隙だったんだけどね。
頭の奥底でそう思っていたとは言え、電話を通じてそのようなプロセスで死に向かおうとしていたので、その時96%以上体と頭を占めていたのは
「絶望感」
「無力感」
「浮遊感」
「情報収集能力停止」
「思考停止」
であるこれらの状態。
だから死に向かおうとしている人に対し自殺するなと問いかけても無駄だと言いたいのです。
九死に一生とは言うけれど・・・
さてそんな「絶望感」・「無力感」・「浮遊感」・「情報収集能力停止」・「思考停止」に陥りながらも粛々とことを進め、いざ終焉の地へ向かうことを決意した山貴、氏。
車のキーを回しエンジンをかけ、約束の地へ向かおうとした・・・・・・瞬間、ある一本の電話が入った。
「山貴、さん ○○へ行って頼まれた書類を持ってきていただけませんか?」
普通ならそこをスルーするほどの当時の頭の状態だが、ここで一瞬の隙が入る。
「俺、戻らなきゃいけないの? 戻らなきゃ・・・」
と呟いた時に私の頭の隙を狙って
家族が私の死に対して泣いている姿がフラッシュバックとしてやってきたのです!
そこで「絶望感」・「無力感」・「浮遊感」・「情報収集能力停止」・「思考停止」から一気に抜け出し我に返ることができたのです。
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん。・゜・(ノД`)・゜・。
あの時の嗚咽は今でも忘れることができません。
残念な特性と偶然によって生かされている
この後の話だが、結局転職する勇気もないままダメ社員として10年以上が経ち、転職した先でも残念な社員として過ごすこととなった。結局自殺願望の傷を癒せなくて”のんべんだらりん”と人生を無為に過ごしてきた。
ただし、自殺願望はこの一件から一度も思うことは無くなりました。もうあんな心と体の状態は懲り懲りです。(逆に言えばあの感覚が忘れられないので「この状態ヤバイ」というレベルも知ったんですけどね)
なお、それらがなんとかして傷が癒し始めたのはこのブログで紹介した「私に発達凸凹という残念な特性があることが分かった」ことからである。つまりつい最近である。
今思うと発達凹凸の特性由来で自殺願望がいきなりやってきて、フラッシュバックという発達障害の残念な特性で命が助かり、「自殺するな」という問いかけじゃなくて「単なる連絡事項」の電話という些細なきっかけ。・・・残念な特性と偶然によって私はこの世を生かされているのである。
ただせっかく生かされているので、この経験からどのようにしたら自殺を少なくなるのだろうかと自分なりに考えてみた。そうしたらこのような仮説の理念が浮かんだ。
自殺願望のスイッチを入れさせないこと
である・・・が、これについては次回のお題としたい。