日本海の可能性を注目している私にとって、4月5日の新潟日報紙面上にてビックニュースが!
世はCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響により外出自粛を余儀無くされていたが、緊急事態宣言が解除されたので早朝こっそりと言ってきた(笑)
珍道中ならぬ珍登山(笑)
角田の妙光寺さんが臨時駐車場を用意してくれています。
まぁ急斜面らしいけど体力もそれほど落ちていないから大丈夫っしょ!let’s go♪
と気楽な気分で墓の横を通って鼻歌交じりに歩いて行ったが、早速つまづく。
「道がない!( ̄◇ ̄;)」
・・・と横を見れば沢を渡るらしき足跡が!
「そうか、こっちへ歩くのか、、、。」
と歩みを進めた。しかし先行きが不安になってきたワタクシ。
それでも「古墳をこの目で確かめる!」と諦めずに歩みを進めることにしたが、困難がまたもやってくる。
「ロープで登るのかよ!( ̄◇ ̄;)」
立て看板通り急斜面を登るのだ。いやー古墳訪問をナメてた。もうね、普段の運動不足の体には
「口から肺が出そうでしたわ(泣)」
そんな珍登山だったけどなんとか古墳に到着した。
どうやらここっぽい。
形を見ると確かに前方後円墳っぽい。 それを感じ取って一息ついた後ふとこう思った。
「こんなとこに古墳作って、埋めている人携わった人みんな・・・
○゛カじゃねーの!(-.-#)」(笑)
新潟市西蒲区にはこれまで日本海沿岸の北限の前方後円墳である菖蒲塚古墳や前方後方墳である山谷古墳、西蒲原郡弥彦村には稲葉塚古墳が発見されている。
しかし菖蒲塚古墳は標高約26m、稲葉塚古墳は標高約45m、山谷古墳は標高約55mなのに対し、ここは標高約100mくらいと聞く。よくもまぁこんな高い位置に作ったものだ。
「まさに○ホとしか思えない」(笑)
海上交通・交易がされていた匂いを感じる♪
木に隠れて周りがよく見えなかったのだが、横をみるとわずかな隙間から角田岬灯台が見える。
妄想の範囲内であるが、その昔は木々がそんなに生い茂っていたとは限らなくて、風景もここからも海が一望できたかもしれない。また昔は新潟砂丘西端の部分で角田山の接続部のあたりは砂山となっていて、標高が今よりも高かった時代がある。
(斜体の部分:2020.6.13追記)
文献を探し切れていないし過去の地理院地図もネット上じゃ不明瞭なのでこの時間帯での正式な表記できないが、その昔新潟砂丘列西端のこの地に焼山(角田焼山)という砂山があった。地理院地図を見ると大体わかるはずだが50m?100mまでいかないと思うけど・・・の砂山。ただし現在この付近の砂丘の標高は約40m程度とのこと。
その昔私の父母は平野部から佐渡は望めなかった話を聞いた。新潟砂丘が邪魔で見えなかったのだ。ただし現在は見える。
ではその砂はどこへ行ったのかというと高速道路の盛土に使われたそう。とある地域の地主はそのおかげで豪邸を立つことができた。それを人は砂御殿と呼んだそうだ。ちなみに砂の搬出で平たい部分ができてので「砂丘地農業」や「カーブドッチワイナリー」が出来たのはあくまで余談。
そう思うと菖蒲塚古墳の延長上ではなく、海上交通・交易をされていた有力者の古墳と仮定してもおかしくはない。私が興味を持っている日本海交易の歴史ロマンを感じる風を感じながら帰路を歩くことにした。
(なお古墳の全景はみなさんこの目で確かめてください)
さいごに・・・
先ほど木にかかるロープの画像を写すほど急斜面を登った。 登るということは・・・当然下山もするわけで。
ロープは登るよりも降りるためにあることを知った山貴、氏(笑)
行かれる皆様はそこそこの装備で行かれることをオススメします。