前回「西蒲原再考への道を歩む」ということで締めくくりました。
実は西蒲原再考への道を目指すことを思いついたのは、前回記した諸先輩から昔の地方自治体の枠組みからきた話のほかにもう一つプロセスがありました。その補足から記した上でタイトルの「誇れる西蒲原を残そう」について取り上げます。
西蒲原郡町村図および下記の画像(群)は以前私がイベントしたときに発表したスライド(の一部)です。
今回のエントリーはそのときのスライドを一部使って投稿します。
風景も立つ位置で見方が変わる
以前、
をこのブログ上でエントリー(投稿)しました。その東京に負けてなるものかの新潟の項にて3つの融合が大切だと言うことを新潟の項の執筆者が話しており、また私のエントリーでそのことを記しました。(その内容を下記の画像に示しましたが、)
(ちなみにあの地図というのは上にある「西蒲原郡町村図」のことです。)
そして西蒲原町村図に出会えた事で下記のような思いも生まれました。
ただ少し思い違いな部分もあったのでこのように思ったのです。
そのことから高校時代に思ったことを一旦消化&昇華して次のステップを歩くために「ほんまき」なる活動の場を作りました。(尚、ほんまきについてはここでは取り上げないこととします。)
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西蒲原の定義
さてそのほんまきなる舞台の昔の西蒲原郡は現在の西蒲区とイメージするかと思います。
しかしそうではない・・・というのはもう西蒲原郡町村図を見ているのでもうわかるかと思いますが、もともとの西蒲原郡は、
私のいうところの西蒲原はこの範囲のことを指します。これを定義付けということで。
#誇れる西蒲原を残したい
さて、最近テレビなどに出演している藻谷浩介さん。
藻谷 浩介(もたに こうすけ)は、日本総合研究所調査部主席研究員、日本政策投資銀行地域企画部特別顧問(非常勤)、地域エコノミスト。
藻谷浩介 :フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
(人物)
地域経済、観光、人口動態を詳細に調査し、講演活動を行っている。日本全国のほとんどの都市を旅行した経験を持ち、現地を歩いて回り、また市町村関係の統計数字や地域特性を詳しく把握した上で、その都市の抱える問題点を解析し、現場の実例も紹介しながらその都市の中心市街地活性化などまちづくりのあり方を提言している。
その藻谷さんが新潟市政策アドバイザーとして講演会にて話した内容が印象的でした。
この時点では地元の巻地区にも私は言及しようとしてましたが、現在は西蒲原一本で行くことにしております。その表現の場がほんまきであるということを今回は記しておきます。
(追伸)
先ほども記しましたが、ほんまきについては当ブログで取り上げません。
形にできたらここでも取り上げたいと思います。
それまでの間はInstagramにて紹介しています。こちらがほんまきインスタグラムです 。