どうあがいても地理が歴史に勝てないことがある。

  • 2019/6/23
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 まぁ地理・歴史・公民などに勝負付けなんてあるわけないのだが(笑)

 この間車を運転していてふと思ったことがある。というのも・・・、

 現在私が活動している界隈の中に歴史クラスタの方が数名おりまして、その中のコメントのやりとりを述懐(と言っても本当の述懐じゃございません。運転しながら本当の述懐じゃ危ないですから 笑)をしていた時に・・・、

 (あくまで私の頭の中において)地理の限界があるのではなかろうか?

 と考えた。今回はそのことについて記してみたい。

まずは社会科と地理推しについておさらいから・・・

みなさん社会科ってどんな教科だと思いますか?

 という投稿にて、以前

  • 社会科とは実は本当の生活科だったり
  • 社会科とは幅広い社会諸科学で出来ていたり
  • 「地理的分野」「歴史的分野」「公民的分野」がどこかで合致したときに面白さが見えてくる

このように記したが・・・そこは地理びいきである私のこと。私が地理推しな理由は幼少体験の地図を見た経験からによるものが大きい(地図好きの件はここ参照)のだが、ただそれとは別に現在進行形の営みが見えることにも興味が湧いたのである。

 例えば現在の人口に興味があったり様々な史跡の位置やいま営んでいる生活を見るためには、地図を片手にプロットしてこのような社会の動きを把握した上で、その場所がなぜここにあるのかと問うた時に「考古学」や「歴史」をもとに分析をして、では未来のためにどのように動いたらいいかという「公民」に向かって未来を見据える思考となる。

 すなわり地理とはそんな思考上の”ハブ&ゲートウェイ&社会の交差点”が垣間見える学びなのだ。そしてそこに吸い寄せられるのだ・・・と。まぁ言うだけ番長で私自身”地理無学”であるのだが(笑)

 ただ、ただ、ただね・・・、

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戦国武将を例にとって話をしてみる

戦国時代の武将に好き嫌いのある私

 さてこの世の中地理女に比べて歴女の方がまだまだ多いかと思う。よくドラマやアニメなどで取り上げられるからだ。そのたびに注目され歴史ロマンの魅力に引き込まれるようだ。

 私もそのことがわからないわけではなくて時折歴史のドラマを見ることがある。特に戦国時代ものを見ることがあるのだが、ここで戦国時代において私が好きな武将な話でもしましょう・・・と言っても正直なところ戦国武将など誰1人として好きではない(苦笑)。それでも強いてあげるならと問われたら、そこは1人もいないというわけでもない。

  • 毛利元就
  • 明智光秀

 まぁ後日、

  • 武田信玄
  • 上杉謙信

 も追加になったのだが、この4人しかいないだろうなぁと思う。あと浅井長政くらいかなぁ?・・・って結構居るじゃないか(汗)

 ただし・・・

織田信長
豊臣秀吉
徳川家康

 などの天下を取ったまたは取りそうになった武将は嫌いな武将ベスト3である(笑)・・・おっと、これらの武将の好きな人がいたら大変申し訳ない。あくまで個人的思考の話だからそこは許してほしい。

ではなぜこの4名がなぜ好きなのか

  • 毛利元就は諜略や根回しや一族派遣などやり方に汚い印象があろうかと思うけど、その代わりに必要以上に地を流さなかったこと
  • 明智光秀は「本能寺の変」にて通行人や農民を残虐させたことに軽蔑の眼差しを向けるが、それでも朝廷と織田信長の板挟みに会いながらも相互調整に尽力したこと。俺には出来ない。
  • 武田信玄は親を追放したところはあるがまぁそこは仕方がない。それよりも戦国の物騒な世の中においても信玄堤などのように公共事業を行い領民のために政治を行ったこと。ならびに織田信長の手柄と言われる楽市楽座の原型をすでに武田信玄が行なっていたこと。
  • 上杉謙信は戦いに明け暮れていたとはいえ今町(いまの直江津)に商業振興策を施していたこと。まぁ軍資金のために重税をかけていたこともあるから武田信玄ほどではないが、戦い以外でも政治をしていたという証拠でもある。

 と思考が偏っていたり実際は思い込みもあるかとは思いますが、理由としたらそんなところですね。

歴史とは経営学であり行動心理学でもある

 そこで戦国武将を追っかけると面白いことに気づく。

 彼ら戦国武将の動きを見ると、その時に置かれた状況(その時の現在)に対して過去を分析して未来のために手を打つ。”過去→現在→未来の流れ”これは前述した通り地理に中心を置いた場合の思考の考え方である。この考え自体は揺るぎないものであり、また国取り合戦は地理センスがないととてもじゃないけど出来ないはず。

 ただし地理がどうあがいても踏み込めない領域がある。それは・・・人は何を思いどのように行動したか。今までの話の流れからすると戦国武将は天下を取るために何を考え何を行動したかということになる。

 人間の動きは地理にもある。むしろ地理も人の動きを分析しないとなぜこうなったのかについてたどり着けないこともある。しかしそれはあくまで多人数の行動の流れであって個人が何に行動したのかということではない。

 しかし私たち社会の中で生きているにしろ人生の在り方は個人個人で違うものである。それぞれ違った人生を歩むことになるが、その個の人生の中で生きていると必ず何かしらの”選択と実行”をしなければならない時がある。そうなった場合に歴史から大いに参考にすることがあっても地理から学ぶべきものが思ったよりもないことに気づく。これが地理という分野は到底踏み込めない領域すなわち歴史が地理を飛び越した瞬間ということである。

 歴史とは経営学につながり行動心理学にもつながれる学問である。

 今回はキャッチーなタイトルで書いてみましたが、実際のところ社会科というものは諸科学同士の相互関係で成り立つもの。なので冒頭に書いた通り・・・

 社会諸科学は勝負付けをすることではないんですがね(笑)

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