死ぬくらいなら・・・が出来ない:自殺私論(後編)

自殺願望のスイッチを入れさせないこと

前回このようなコメントで終了した。今回はその続き。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ) 【お試し読み】はこちらより

今回はこの本をテキストとして、私なりに感じたことを記してみたい。

(もう一つのテキスト)
山ほど働いても「平気な人」と「病む人」の差 死ぬくらいなら会社を辞めるのも一手だ ワークスタイル – 東洋経済オンライン

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない訳 人生には多くの選択肢がある。逃げればいい ワークスタイル – 東洋経済オンライン

東洋経済オンラインより

聞き分けが良すぎる人ほど自ら退路を遮断する

というのも・・・前回記した内容は仕事上でおきた出来事。発達系の特性を持っていた前提があるが、それを差し引いたとしても「会社の辞め方」を知らないと、ちゃんと自分の身の退路を作っておかないと「死ぬくらいなら会社を辞めればいい・・・ことができない」のだ。

自分は「元来の発達の特性」と、いい意味でも悪い意味でも「聞き分けが良い性格」が邪魔をしたので今でもそれに苦しんでいる。結局自分の意思で会社を辞めざるを得なかった(辞められるように仕向けられた)人生を悔いている。まぁこの発達系の話はここでは記さない。「聞き分けが良い性格」をもとに話を先へ進めよう。

東洋経済オンラインの記事にも載っていたのだが、人生を賭けてまで会社を辞められない理由とはなんだったかと言うと、

  • 転職先が見つからない親(家族)に心配をかけたくない
  • 他はみんな頑張っている
  • かかる経費と借金返済をしなければならない
  • 途中で投げ出すと一生後悔する
  • もっと辛い人がいる
  • 会社や社会にいるみんなに迷惑がかかる

などの理由が思い浮かぶ。そのような理由で自ら退路を遮断する。

まぁ会社&本職関係においては私自身も実践していないので人のことを言えた立場ではないのだが、ただライフワークを通じただけでも言えることがあるし、紹介した本の著者でもある汐街コナさんも言っていたことにこんなフレーズがあります。

「世界は本当に広いのです」

「世の中こんな世界があったのか!」

前述した「自殺しかけた話」が今から24年前(投稿当時)の話。この時人生の底を見たのだが、それから4年後に転機が訪れた。それはネット上でのつながりと、その人たちのメンバーでのオフ会に参加したことだった。

今でこそソーシャルネットワーキングサービス・・・SNS全盛の時代だが、今から20年前(投稿当時)はそんなサービスはもちろん存在していなく、また2chに代表される掲示板が有名になる直近の時代での話。その掲示板文化の元となったプロバイダ管理による掲示板が、今のSNSのようなつながりを持ったネット環境だった。もっともイノベーター理論で言うところのアーリーアダプター的・・・いや、こまっしゃくれた言い方はやめよう。一言で言うと「ネット環境の先取り」をした人たちが多かったので、モラルもちゃんと持った安心した大人同士が安心してネットのつながりが保てたそんな時代背景。

そんな環境や仲間と繋がりを持った上でオフ会に出席した感想は

「世の中こんな世界があったのか!」

であった。

この感想を持った体験の4年前は休みが日曜日(土曜日と祝日は基本仕事)しかなく、勤務地が県外で友人がいなく会社以外での交流がほぼゼロであった。同じ会社の人はそれなりに自分に対処をしていたのだが、当の私はと言うと人との付き合いに不器用なためか対処しきれないでいた。会社でも出来の悪い社員で(今思うと)心も疲弊していたので休むことに充当していて籠っていた。

そのような状況だったから社外や業界外の人との交流はとても新鮮だった。私を非難する人も少ないし様々な考え方に触れ合うことで、見えている世界だけが世界じゃないことを知り得た。

そのことから今一度汐街コナさんが話したフレーズをもう一度言います。

「世界は本当に広いのです」

いくつものコミュニティを作ることの大切さ

それ以来私は私が出入りできる複数のコミュニティを作ることを心がけた。その心がけが今につながっているといっても過言ではない。
その姿を見て「一意専心になっていない!」と言う意味で様々なことを言われたり思われたりするだろう。しかし気にすることはない。勝手に思わしておけば良いし、一意専心ができる人がすれば良い。

したがって「いくつもの出入りできるコミュティを作ること」が冒頭で話した「自殺願望のスイッチを入れさせないこと」につながるのだと思います。

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