電話帳と時刻表と日本地図に目覚めた幼い頃の山貴少年

 私のライフワークのスタンスを記していくにはまず私の幼少期について記す必要があります。
 今回は幼き頃の山貴少年について記してみましょう。

 幼少期の山貴少年を自分自身で振り返ってみると、自分で言うのもなんですが「変わった子」でした。ではどのように変わっているか・・・こんなエピソードがありまして、、、

  • 町内会運動会の徒競走で「僕1等~」と叫びながら走った皆さんからの失笑を買う(笑)→結果は1着ではなかったらしい(苦笑)
  • 父に背負わされてバイクで走ったときのこと(多分今はそんなことをしてはイケナイはず)、普通の子は行きたい場所を指差しするもんだが、やまたか少年は肩を手で動かして伝えようとしてて父を困らせたらしい(笑)
  • 週末になると「どっか行って~(どこかに行きたいという意味)」って言っていたから付いたあだ名は「どっかマン」(笑)
  • 極め付けは迷子になったこと!俺自身覚えていないがどうやらパトカー騒ぎになったらしい。(後日母は私の死を覚悟していたらしい。)

 自分が言うのもおかしいけれどなかなかの武勇伝である(笑)
 そんな様々な困ったちゃんエピソードがありましたが、その一方でこんなエピソードもありました。

[ad]

母の面白い教育方針

 うちの母は面白い教育の方法をとっていた。

 私が子供の頃は「駄菓子屋」という文化やお店がまだ残っていて、遊ぶ時間があると駄菓子屋によく行きました。50円や100円握りしめて駄菓子屋へ行き10円ガムや30円のアイスを買って食べたものです。そうしていくうちにお店の人と仲良くなったり時には怒られたり、それでも大人たちは面倒を見てくれてました。

 普通の親は「買い食いはダメ!」と言われていたのだがうちの母親は少々違っていた。

 「100円あげるから100円で何か好きなものをお母さんに買ってきて」

 母も駄菓子好きらしく自分も子供の買い物を楽しんでいる様子だったが、大人になってからその思い出し話をした時に「なぜそうさせたのか?」と問うたら帰ってきた答えが、

 「100円を使って何を買ってきてくれるんだろうな?というワクワク感と100円の範囲内でお買い物をさせるという訓練をさせた」と。

 そんな母と歩いていいた時の会話。よそのお家の表札を指差して、

 母「あの表札なんて読むの?」
 俺「○〇〇○〇〇」
 母「すごい! じゃぁあの電柱はなんて書いてあるの?」
 俺「××××××」
 母「凄い凄い!」

 俺に漢字を読ませたのだ。当時漢字を習うはずもない保育園~小学校1年生時に。しかもほぼ全問正解という正答率。

 ではなぜ漢字が読めたのかと言うと・・・・・・。

とにかく分厚い本が好きだった山貴少年

 当時の山貴少年はとにかく分厚い本が好きだった。少なくとも電話帳と時刻表が好きだった。なぜ分厚い本が好きだったかは記憶に残っていないのだが本能的に欲していたんだろう。

 先ほどの漢字の件でも電話帳で覚えたのだが、ただ普通に眺めているだけじゃ漢字の読みなどわかる訳が無い。自分でもどう覚えたのははっきりと記憶がないのだが、おそらく日常会話で検証できた漢字が読めて、かつ偏(へん)と旁(つくり)の部分的な字にある一定の共通した読みを「神が舞い降りてきたかのごとく」に会得したのだろう・・・覚えていないので記憶にないが恐らく多分。

 そんな中時刻表も好物の一つだったのだが、時刻表の場合は全部が好物だったわけではなく「路線図」(と特急列車路線図)を食いつくように見ていた。見ていてはどこどこは県庁所在地だのここは県庁所在地でないのに新幹線が止まるだの、今となっては何が面白いのかよくわからないがそんなことに興味を持ちながら路線図を見ていたものだ。

 昔の国鉄の駅には切符の料金表が掲示されていて地元駅でも東京までの料金や大阪までの料金(北陸線経由や東京経由など)は掲示されていた。そのことにも興味はあったのだがあるきっかけで新潟駅に行くこととなり、新潟駅の切符売り場には地元駅に掲示されていなかった福岡までの料金とか青森までの料金が掲示されていた。もちろん福岡までは当時でも1万円を超える料金だが、その料金を見て

 「福岡はどんなとこだろう??」

と憧れにも似た興味を持った。

 兄が親から買ってもらった百科事典があった。親は「弟にも少し見させてあげて」と言われていた。なので少し見てもらったのだが、ただそこは少し変わった山貴少年。当然生き物や乗り物なんかには目もくれず興味があるのは日本地図。その事典に書いてあった県庁所在地と人口に興味があり、子供ながらに新潟は大きな都市なんだなぁ・・・と感じ取るおかしな幼少時代。

 そんな集中して読んだから事典を傷つけて兄からは泣かされましたけどね(笑)

山貴少年の才能が開花する瞬間

 ただそんな変な子山貴さんもついに小学校入学を迎えた。しかし低学年の頃は特別才能が開花した・・・わけではない。

 成績自体も5段階中の「1」は流石になかったものの「2」か「3」のみ。運動もそんなにできる方ではなかったし、野球に至ってはキャッチボールがまともにできなかったし。

 そんな中で状況が一変した時期がある。それは小学校3年生の1学期になってのこと。
 国語・算数・理科・社会が4(大)教科と言われていた時期。小学2年までの今で言う生活科の範疇からガラリと変わり、小学3年1学期の社会科で日本地図を取り上げたのだ。

 結果は・・・もう言わなくてもわかると思います。「4」すらとったことがない人間が初めてとった数字に驚くやら嬉しいやら・・・人生に初めて自信がついた瞬間でした。

 (まぁ正直に言うと当時の社会科は物足りなかったですが(笑)、それよりも出来るという自身の方が強かったですね。)

関連記事

コメントは利用できません。

ページ上部へ戻る